あじさいが雨に美しい季節となりました。
かつては暴れ川とも呼ばれた川内川。恵みの雨が時に大水となり、氾濫をもたらしたことも市民の心には深く刻まれています。現在、川内川下流域(大小路地区)一帯では大幅な河川工事が行われています。
整備事業の一環として進められていた山本實彦像が太平橋そばに完成し、2020年5月、除幕式が開催されました。
山本實彦(やまもとさねひこ)ってどんな人?
山本實彦(1885〜1952)は、現在の薩摩川内市東大小路町に生まれました。
苦学ののち、改造社を創業。雑誌『改造』の創刊をはじめ、手ごろな値段で売り出した『日本文学全集』は「円本」と呼ばれ、多くの人が文芸に親しむきっかけとなりました。
各界の著名人と交流があり、与謝野鉄幹・晶子夫妻を川内に招いたり、アインシュタイン博士を日本に招いたのも實彦です。
実業家を経て衆議院議員となった實彦は、洪水に苦しんでいた郷土のために、川内川の改修工事にも取り組みました。
天大橋ふもとには實彦生誕地の石碑と案内掲示があります。
写真左より制作者の小原浩氏、實彦の子孫・山本晋也氏(中央)、顕彰委員会幹事長の中野義彦氏(右)。小原氏のアトリエにて
上写真は2019年5月撮影。銅像の型を取るためのFRP彫像を製作中の様子です。實彦の功績を後世に伝えようと、山本實彦顕彰委員会により銅像建立の準備が進められてきました。
そして迎えた2020年5月17日。前日まで雨模様、関係者は一様に「なんとか持ってくれ」と願ったことでしょう。
その願いが届いたのか、当日は曇り空に時折、晴れ間ものぞく天気となり、多くの参列者が見守るなか、除幕式が行われました。
ご親族代表、来賓代表、顕彰委員会代表の皆さんによってベールが取られ、無事にお披露目となった實彦像。
川を背に、新田神社の方向を向いて設置されました。左手には円本を持ち、右手は川内川を鎮めるような所作を表現しているのとのことです。
台座の文字は實彦本人の筆跡を元にしたもので、新田神社に記帳したものが保管されていたのだそうです。
躍動するような實彦の文字をぜひ、ご鑑賞ください。
堤防沿いの病院からもお祝いの拍手が
同日、「木曽三川千本松原帰り松」記念植樹も行われました。
江戸時代、薩摩藩が徳川幕府の命により木曽三川流域で治水工事を行った際、工事の完了を祝して薩摩藩士は故郷から松を取り寄せ、現地に植樹したと伝えられています。
その千本の松の二世松がNPO法人木曽三川千本松原を愛する会より寄贈され、像の設置に合わせて植樹されました。
鹿児島と岐阜との間で、治水を通じた交流が今も続いていることは、ご存知の方も多いはず。
川内川堤防にも、ゆかりの松が育つことになります。
制作者の小原さんに話を伺いました。まずは除幕式が無事に終わり「ほっとしました」とひと言。
当日は奥さまと息子さんも参列し、記念の瞬間を一緒に見届けました。
制作期間は平成30年4月から翌年3月に渡り、およそ1年間。
薩摩川内市役所文化課に勤務するかたわら「おもに週末を作業に当て、夜も朝も作業しました。
気がつけば、8時間以上作業に没頭」する時もあったそうです。
一番苦労した点は「顔、表情です」。
實彦29歳の時の写真を基に、41歳ごろの壮年期を想定して、全体像を完成させました。
「市民の皆さんに實彦の人となりを知ってもらい、親しみを持って頂けたら嬉しいです」と穏やかに話す小原さんでした。
實彦像のそばには、川内川改修の歴史を伝える案内板も設置されています。一級河川、川内川とともに歩んできた町の歴史。散策しながら、学んでみるのもいいかもしれません。
川内まごころ文学館では、文学者としての山本實彦を知ることができます。
川内川を愛し、文学を愛した實彦。まごうことなき郷土の偉人といえるでしょう。
山本實彦記念碑