平佐西の歴史散策(3)天辰寺前古墳

穏やかな秋晴れに恵まれたら、「身近な場所に、こんなところがあったんだ!」という歴史散歩はいかがでしょうか。薩摩川内市の地域おこし協力隊、松元由香さんに案内いただき、平佐西に点在する史跡をまわってきました。歴史散策(1)皿山天主堂跡歴史散策(2)平佐焼窯跡に続き「天辰寺前古墳」を紹介します。

天辰寺前古墳(あまたつてらまえこふん)

川内駅から車でおよそ10分。市の中心地から東郷方面を結ぶ道路沿いにあるのが天辰町です。川内川の左岸に広がるこの地域は、近年開発が進み、新興住宅地として新築や建設中の住宅が多い地域でもあります。朝夕の通勤ラッシュ時には交通量の多い天大橋。この橋の名は橋の両側、天辰の天と大小路(おおしょうじ)の大を取って名付けられました。天大橋を天辰から大小路に渡り直進すると、薩摩国分寺跡史跡公園へと続きます。

2008年(平成20年)6月、天辰の区画整理事業の工事中に偶然、石室が発見されました。その後の調査で、石室からは壮年女性と推定される人骨1体、副葬品の銅鏡1面、刀子(とうす・小さいナイフ様のもの)1口が出土しました。石室と円墳は今からおよそ1500年前(古墳時代中期)のものと判明。遺骨の左腕には16個、右腕には2個のイモガイ製腕輪が付けられていたということです。銅鏡やイモガイ製の腕輪は、この地域が古くから中央や南方との交流があったことを示す、大変貴重なものです。古墳と石室内の出土品は2013年(平成25年)に鹿児島県の史跡と有形文化財に指定されました。

周囲からは小高い丘のように見える天辰寺前古墳。直径は約28メートル、高さ約3メートルの円墳です。頂上にある石室とその周囲は保護のため立ち入り禁止となっています。手前にあるのは石室の模型です。石室内部は例年、天候など一定の条件が整った環境下で、年に1~2回、文化の日などに一般公開しています(※本年度の公開日は11月3日に決まりました⇒リンク先参照)。古墳ファンならずとも、一度は見てみたいところです。

模型の内部をじっくりと観察することができます。

女性の副葬品などから、呪術の使い手のような人だったと推測されているそうです。

土に埋もれて1500年余。平成の代に光を浴びた石室内部。

天辰の町を見渡してみましょう。川を背にすると正面に、緑に包まれた鹿児島純心女子大学のキャンパスが見えます。

こちらは川内川河口方面です。稲穂が黄金色に輝く、美しい秋の風景。寺前、の寺とは、龍興寺(りゅうこうじ)のことだそうです。また、付近には碇山(いかりやま)城址もあります。南北朝時代、川内の地でも内戦が繰り広げられ、薩摩の守護職についていた島津氏はここ碇山城を拠点としていました。やがて室町時代には島津氏の拠点は川内から鹿児島へと遷っていきます。その後、碇山城跡は採石場となり、城跡の原型は留めていないものの、歴史ファンが度々訪れているようです。

天辰の石塔

再開発に伴い古墳時代の石室が発見されたように、天辰地区には町の古い歴史を今に伝えるものが多く残っています。天辰寺前古墳のすぐ近くには、石塔が集めて展示されています。

室町時代後期から江戸時代にかけて、天辰町には三つの寺院があったそう。付近には「寺前」「坊ノ下」「三堂」といった寺院に由来する地名が多く残ります。

小ぶりのかわいらしい仏様の像も。

付近の真新しい住宅街と古墳とのコントラストが面白く、歴史への想像をかきたててくれる天辰地区。史跡のすぐそばに駐車場や詳しい案内板が整備されています。古くて新しい史跡「天辰寺前古墳」から始まる古代ロマンの旅。天大橋、薩摩国分寺跡史跡公園、川内歴史資料館とつないで訪れてみるのはいかがでしょうか。平佐西の歴史散策(4)は「北郷家墓地と兼喜神社」を訪ねます。

天辰寺前古墳
お問合せ:薩摩川内市教育委員会文化課