東郷文弥節、人形浄瑠璃の世界(1)

2018年11月25日、東郷公民館ホールで開催された東郷文弥節人形浄瑠璃を観てきました。浄瑠璃とは、三味線を伴奏にした語り物のこと。人形浄瑠璃とは、三味線の音をバックに抑揚のついた語りで進行する人形劇、といったところでしょうか。”ミュージカル風人形劇”との説明もあります。文弥節の文弥、は人の名前。大阪道頓堀の岡本文弥に始まる流派を文弥節というのだそうです。もともと語り物としての「浄瑠璃」とは、牛若丸(源義経)と浄瑠璃姫の恋物語に由来し、浄瑠璃が源平の合戦や源義経の物語と深く結びついていることがうかがえます。

この「文弥節人形浄瑠璃」が、現在もなお伝承されている地域は、日本で4か所のみ。石川県白山市、新潟県佐渡市、宮崎県都城市、そして鹿児島県薩摩川内市の東郷です。江戸初期に興ったとされる文弥節は日本各地に伝わったものと思われますが、なぜここ薩摩川内市東郷で手厚く守り伝えられてきたのでしょうか?

東郷公民館に展示されている人形と台本

東郷に文弥節人形浄瑠璃が伝わったのは江戸時代の初期。島津氏の参勤交代に随行した東郷の侍が、京都・大阪で流行していた文弥節の師匠を連れ帰り広めたとされています。それより以前にも別の流派の浄瑠璃が東郷には伝えられていたそうですが、この文弥節とともに演目『源氏烏帽子折』(げんじえぼしおり)が一緒に広まりました。この『源氏烏帽子折』に登場する金王丸(こんのうまる)こそ、今の薩摩川内市に連なる重要人物なのです。

西郷つんの故郷、東郷の歴史と人形浄瑠璃とのつながりとは

この金王丸は実名、渋谷常光(しぶやつねみつ)といい、その兄、渋谷重国(しぶやしげくに)の子孫こそが、薩摩川内市域周辺に関東から移り住んだ渋谷五族なのです。実重(さねしげ)が東郷氏、重保(しげやす)が祁答院氏、重諸(しげもろ)が鶴田氏、定心(じょうしん)が入来院氏、重貞(しげさだ)が高城氏と、それぞれ支配した地域から名を取り、島津氏の薩摩統一まで各地を治めていました。「我々の先祖が、源義経を支えたのだ」という誇りを持ち続けるため、地域の士気高揚、あるいは住民の娯楽のため、というのが、この東郷の地で人形浄瑠璃が伝承されてきた理由のようです。

ゆうに300年を超える歴史をもつ東郷文弥節人形浄瑠璃。国の重要無形民俗文化財に指定されてから、今年で10周年を迎えました。地域の方々を中心に保存会が結成され、この伝統を次代につなげる活動が続いています。公演の様子を東郷文弥節、人形浄瑠璃の世界(2)で、ご紹介します。

参照:『マンガ東郷文弥節人形浄瑠璃~源氏烏帽子折の世界~』薩摩川内市川内歴史資料館編集、薩摩川内市教育委員会発行