神代三山陵、神の足跡をたどる旅

薩摩川内市民にとって初詣や合格祈願、散策などでも親しまれている新田神社。神亀山(高さ70メートル)の小高い山の上にあり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)をまつる薩摩国一の宮です。同神社の宝物殿に収められている鏡(銅鏡)を子どもたちが磨き、健やかな成長を祈る夏の行事「御神鏡清祭(みかがみすましさい)」など、古来より続く伝統行事は薩摩川内市の四季を彩ります。社殿は年間を通して深い緑に包まれ、祈りの場にふさわしい静謐な空気が漂います。

このようになじみ深い新田神社ですが、その奥に控える瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の御陵「可愛山陵」をご存知でしょうか。この可愛山陵は、霧島市の「高屋山上陵」、鹿屋市の「吾平山上陵」とあわせて、神代(かみよ、またはじんだい)三山陵と呼ばれています。神話・天孫降臨のニニギノミコト、ヤマサチヒコ、ウガヤフキアエズノミコトを経て、初代・神武天皇につながる三代の御陵のことで、すべて鹿児島県内にあります。それぞれの御陵の所在地については諸説あったようですが、この三か所が明治七年、明治天皇による御裁可により認定され、現在に至るまで宮内庁により管理されています。

陸路鹿屋へ。桜島を望みつつ高速道路を走り、到着したのは「吾平山上陵」。瓊瓊杵尊の子、火遠理命(ヒコホホデミノミコト・山幸彦)と豊玉比売命トヨタマヒメ)のあいだに生まれた鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の御陵です。

ウガヤフキアエアズノミコトは、ニニギノミコトの孫、初代神武天皇の父にあたります。吾平山上陵は、全国でも珍しい岩屋の陵。山陵までの参道は緑に包まれ、川のせせらぎも美しく、神々しい雰囲気を醸し出しています。伊勢神宮に雰囲気が似ていることから「小伊勢」とも呼ばれ、初詣や桜の季節には大勢の参拝客でにぎわいます。

苔むす緑が美しい石橋。

12月初旬。紅葉を楽しめました。

清流で手をすすぎ、お参りに向かいます。

この先の川を渡った奥に、岩屋があります。一般客はその手前で参拝します。

高い木立ちが荘厳な雰囲気を醸し出します。

小伊勢と呼ばれるのも納得。春には桜の名所となります。鹿児島県にお住まいなら、一度は訪れてみる価値のある素敵な場所です!

三山陵めぐり。霧島市、鹿児島空港のそばにある「高屋山上陵」

こちらも鬱蒼とした森に包まれています。

山の中腹まで続く階段を登ると

山陵が現れました。ニニギノミコトの子、山幸彦(ヒコホホデミノミコト)の御陵とされています。霧島市からさつま町~薩摩川内市に至る道路の途中にあります。薩摩川内市から鹿児島空港の行き帰り、お時間のある時に立ち寄ってみられてはいかがでしょうか。

三山陵めぐりの最後は我らがホーム、新田神社です。

神社にお祈りしたのち

社殿の右手奥へと向かいます。

「可愛山陵」はニニギノミコトの御陵です。天照大伸(アマテラスオオミカミ)が、孫にあたるニニギノミコトに地上の世界を治めるよう命じました。ニニギノミコトは与えられた稲穂を携えて、高千穂の峰(霧島)に降りたったといわれます。そこで初めてお米をつくったあと、南さつま市の笠沙に移ってコノハナサクヤヒメと出会い、三人の皇子が生まれました。その後、東シナ海を北上し、ここ薩摩川内市にきたといわれています。

川内に着いたニニギノミコトは、この地に立派な高殿(うてな・千台)を築いて住んだといいます。「川内」の語源は、この「千台」に由来するという説もあります。現在、鹿児島県内に点在する神代三山陵でストーリーを紡ぎ、日本遺産登録を目指す動きがあります。2020年は「日本書紀」編纂から1300年。実は神話に彩られたまちでもある、薩摩川内。まずは身近な可愛山陵から、日本のルーツをめぐる旅へとお出かけしてみるのはいかがでしょうか。

取材協力:可愛山陵奉迎準備委員会、日本遺産登録準備委員会
参照資料:吾平山上陵リーフレット、新田神社のおはなし他