平成15年12月25日に国の重要伝統的建造物保存地区に指定
入来町は鹿児島県の北西部の薩摩郡南部に位置し、町域は三方を山に囲まれ、川内(せんだい)川に合流する樋脇川の沖積地に市街地が展開する。
鎌倉時代中期、相模国御家人渋谷定心が惣地頭となり、その末裔は入来院と称し、明治維新に至るまでほぼ一貫して領主として存続する。
江戸時代、鹿児島藩は鹿児島城を本城として、領内各地に外城(とじょう)と呼ぶ行政区画を設けて統治にあたり、入来はその外城の一つである。
外城には行政庁である領主居館とそれを中心とする麓とよばれる武家屋敷地が設けられるが、入来ではそれ以前の文亀元年(1501)に清色城の裾野に屋敷を配し、麓と称していた。入来町入来麓伝統的建造物群保存地区は、近世に武家屋敷地として整備された麓のほぼ全域で、中世の山城である清色城跡の東面山裾と樋脇川に囲まれた東西約750M、南北約550M、面積約19.2haの範囲である。
保存地区の北半は緩やかに湾曲する街路に沿って不整形に屋敷割されるのに対して、領主居館跡の東に位置する南半は東西路4本と南北路2本を骨格とした整った街路構成をとり、それに沿って整形に屋敷割される。
現在でもその地割が旧態をとどめ、屋敷割もよく残る。保存地区内では江戸時代末期の武家屋敷の主屋およびその形式を継承して明治期から昭和初期までに建てられた主屋をはじめ、表門や付属屋、さらに街路に面して築かれた石垣などが伝統的建造物として特定され、保存の措置が講じられている。これらの伝統的建造物群と石垣上の生垣や庭園、樹木等が緑豊かな独特の歴史的風致を形成している。
入来町入来麓伝統的建造物群保存地区は、鹿児島藩の旧武家屋敷地で、中世の麓集落を基盤として、近世になって整備された街路構成と地割をよく残すとともに、武家屋敷を構成する主屋やこれを囲む石垣や生垣などが周囲の環境と一体となって、麓の特色ある歴史的景観を現在によく伝え、我が国にとって価値が高い。
ジャンル | 文化財・史跡 |
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名 称 | 薩摩川内市入来町麓伝統的建造物群保存地区 / さつませんだいしいりきちょうふもとでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく |
住 所 | 〒 895-1402 鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名 |
アクセス | 九州自動車道・姶良ICから車で25分、JR川内駅から車で25分。 |
問い合わせ先 | 入来麓伝統地区協議会(入来図書館内) |
TEL | 0996-44-5311 |
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名
掲載情報は2019年12月24日現在のものです。現在の内容と異なる場合がありますので、あらかじめご了承ください。情報提供・間違いを報告する
薩摩川内市入来町麓伝統的建造物群保存地区
さつませんだいしいりきちょうふもとでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく