新田神社に伝わる古文書8巻と『新田宮縁起 、秀吉の九州平定の際に境内に立てられ 』た制札からなります。
古文書は1巻から7巻までが主として執印氏関係文書、8巻が権執印家文書写です。
文書は、永万元年(1165)年から寛文3年(1663)年の間のもので、特に鎌倉・南北朝期のものが多数を占め、鹿児島県の歴史を明らかにすることはもちろん、日本歴史研究上の重要資料です。
新田神社は、薩摩国衙の所在地に近く鎮座し、薩摩国一の宮として広く国内に勢力を張っていました。
神宮は鎌倉初期以来、惟宗氏が執印に、紀氏が権執印に就任世襲しました。両氏はともに鎌倉御家人であったため、社領関係文書のほか、在地領主としての両氏の譲状、御家人としての活動を裏付ける催促状、軍忠状、感状等が豊富に残されています。
特に、寛元元年(1243)年の五大院主迎阿譲状や、蒙古襲来に関連する祈祷の指令、異国警固番役に関する文書、足利尊氏御教書、足利直義の感状、百韻連歌懐紙などは注目されています。
また、禁制札は、小西行長ら奉行4名の連署になるもので、神社境内における軍兵による乱妨、狼籍放火を禁止しており、秀吉の九州平定当時の制札として注目されています。
昭和58年6月6日に国の重要文化財(古文書)に指定されました。