令和元年、鹿児島県が申請した「薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~」が、日本遺産に認定されました。このなかには、薩摩川内市、いちき串木野市など9つの市に点在する「麓」が含まれます。「日本遺産(Japan Heritage)」とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを守り、伝えていく「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
今までも、玉石垣の美しい町並みを残し、歩いて楽しんでもらおうと地域ぐるみで取り組んできた入来麓の皆さん。2020年2月に開催された2つの「まち歩き」イベントから、入来麓の見どころをダイジェストでお届けします!
鹿児島まち歩きの達人。東川隆太郎さんの案内で、清色城跡からスタート!
鎌倉時代に関東から北薩に移住してきた渋谷五族、鶴田、東郷、祁答院、高城そして入来院。清色(きよしき)城は、入来院氏の居城です。戦国時代に島津氏の支配下に入りながらも、明治維新までの600年以上に渡り、この地を治めました。石段下の広場=お仮屋馬場には水をたたえた堀があり、春には桜の花見に人々が集います。「この広場は鹿児島の麓群のなかでも唯一、城跡の堀の周りが舗装されていない、当時の雰囲気を残す貴重な場所ですよ」と東川さん。
続いて「麓下の三十三観音塔」へ。のどかな風景がひろがります。
麓下(ふもとしも)の三十三観音塔(さんじゅうさんかんのんとう)は、1527年入来院家の十一代重朝(しげとも)の時代に、一族33名の供養塔として建てられたものと考えられています。応仁の乱以後、戦国時代へと移り変わっていく当時の状況をふまえ、「きちんと供養できるかどうかわからない時代。生前に一族をまとめて供養するために、こういう観音塔が造られていたんですね」と東川さんが解説。なるほどと納得したところで、観音塔を間近に見学します。
ひとり一体ずつ、それぞれ異なる姿の観音が彫られており、鹿児島県でも珍しい石造物なのだそう。薩摩川内市の指定文化財となっています。
入来麓の氏神さま、赤城(あかぎ)神社の梅。
入来麓の人気飲食店「Iriki-heartsいりきはーつ」の税所真美さん。店舗の近くにある空き民家(写真奥)について説明しました。地域の各グループと所有者とで相談のうえ、リフォーム等を行い、宿泊所として活用できないか検討中とのこと。民泊が旅のスタイルのひとつとして定着してきており、地元の方はもちろん、リピーターの観光客からも期待を集めています。
まち歩きのあと、入来麓で様々な取り組みを行う皆さんによる活動報告、意見交換の場が設けられました。かつて、入来麓を通る道路の道幅拡張に踏み切るか、中世からの通りを残すことを優先するか?という大きな分かれ目があったといいます。協議の結果「拡張はしない。この町並みを残し、将来、多くの人に訪れてもらえる場所にする」という住民の意志が尊重され、今に至ります。その意志は地域の人々に受け継がれ、ジュニア歴史ガイドや侍ツーリズムへと広がってきました。
入来麓をもっと詳しく知りたい方へ。今日、私たちが入来麓の中世の様子を知ることができるのは、入来院家が代々書き残し、保管してきた『入来文書(いりきもんじょ)』のおかげです。この文書は、明治生まれで日本人初のイェール大学教授となった歴史学者・朝河貫一氏により研究、英訳され、その著書、”The Documents of Iriki” により、中世日本の封建制度の事例として世界的に知られるところとなりました。
入来麓武家屋敷に在住している写真家・小島健一さんのブログ。【日本遺産】入来麓武家屋敷群について 上空からの写真で入来麓の様子を鮮明に紹介。見どころ、歴史、グルメまで、余すところなくその魅力を伝えています。
入来麓にはまだまだ見どころがいっぱい!「祝!日本遺産登録・入来麓まち歩き(2)」に続きます。